ジュディス・ルービンとの対談を終えて
このジュディス・ルービンとの対話は、今年(2013年)の1月14日に、スカイプ上で行われたものです。彼女の住んでいるピッツバーグと時差が14時間もあるため、私には夜の11時でしたが、彼女にとっては早朝の9時からのインタビューとなりました。時間的には双方が起きている、この時間帯を縫って行われました。
そもそもこの企画は、対談にもあるように、10年前のジュディー(私は彼女を愛称で呼んでいます)との最初の出会いに遡ることができます。それは、ある日彼女から、「今度日本に行きますが、東京にアートセラピストのあなたがいることを、アートセラピー学会で会った日本人のアートセラピストから紹介されました。一度会えますか?」というメールをいただいたことから始まりました。
彼女が宿泊していた池袋のホテルまで出向き、ロビーで待っていると、一人で日光のツアーに参加してきたジュディーが、リュックを背負いカジュアルな格好でひょっこり現れました。これが彼女との最初の出会いです。そして、近くの中華料理店を見つけ、そこで3時間以上、閉店になって追い出されるまで夢中で話し合ったのを覚えています。
当時話し合った内容は、日本のアートセラピーの現状、なぜアメリカがこのような短期間にアートセラピーが広まり、多くの大学院の専門コースが設立され、社会的に認知されるようになったのか、私がアメリカの大学でアートセラピーを学んでいた時の教科書でもあった彼女の編著による”Approaches to Art Therapy、1986"(「芸術療法の理論と技法」徳田良仁監訳、誠信書房)についての質問、などに関してでした。
そして、その時の最後の質問が、「今は2002年の12月です。21世紀に入ったばかりです。この新しい世紀に入っての10年間は、アートセラピーはどのように発展していくと思いますか?」というような内容でした。
・・・思えばこの10年間は、私にとっても大きな激動の10年でした。
その4年後に、私の呼びかけで、国内のアートセラピスト、ミュージックセラピスト、ダンス/ムーブメントセラピスト、ドラマセラピスト,表現アートセラピストたちが集まり、アメリカを中心とした、世界の諸芸術療法のリーダーを招いての国際会議を東京で開催することになろうとは、夢にも思っていませんでした。
ジュディーはその国際会議にも参加してくれて、アートセラピーの講演と、さらにシンポジストとしての発表もしてもらいました。

それから、3年ほどして、ルービンから連絡がありました。
そこには、世界中のアートセラピストがどのように活躍しているか、その様子を伝えるDVDを作ろうと思っている。あなたにも出てほしい。このビデオはあなたが参加しないとできない。などという(おそらくみんなにも同じ文面の)内容の依頼文が書いてありました。
その間、ルービがも交通事故に遭い、私も体調を崩すなど、しばらく時間がかかりましたが、ようやくできたのが、Art Therapy : A Universal Language for Healing(アートセラピー:癒しのための万国共通の言葉)というビデオです。

その間に、アートセラピーの教育と普及のための活動を本格的にしていくために、20年以上常勤で勤めていた碧水会長谷川病院を辞めることを決断し、その年に一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターを立ち上げました。
その、法人の誕生日ともいえる登記の日は、2010年9月30日。
実は、その月の初めに母親が亡くなり、その2日後に私にとって一番親しかった恩師ともいえる人が亡くなり。まさに私にとっての激動の月でした。
…そして、翌年3月の、東日本大震災。
そこで、ルービンとの対談から10年目を経て、ルービが10年前に語った予測はどうだったかを、 彼女自身の口かrら述べてもらおうとする試みだったわけです。
今にして振り返れば、2001年の9.11テロに始まり、2011年の3月11日の東日本大震災で終わった10年間、もう少し別の切り口でのインタビューもあったらよかったかなのと思いもあります。しかしそれは、ルービンより今ジョイントワークをしているイスラエイドの人々から直接答えが聞ける領域であるように思います。
さて、10年後の世界、そして日本のアートセラピーはどのように普及し、根付いているのでしょうか?それまでルービンが元気に活躍していて、またインタビューができるのを楽しみにしています。
一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センター
代表 関 則雄
2013年8月10日